宿命と運命
【宿命と運命】
最近、お客様によく聞かれることあります。
お客様『10代目は、いらしゃいますか?』
当主「沢乙温泉10代目の宿命に生まれた長男は、弓道三段で埼玉で弽師(かけし)の修行をしています。弦とは弓具です。弓を持つとき右手親指を保護するためにはめる鹿革製の手袋のことです。」
長男は、故郷の利府中学校で弓道に出逢い、弓道に人生を救われ、弓道を愛し弓道に愛されたと言って、将来、弓道の素晴らしさを世の中に普及したいと厳しい職人の道に入り精進しています。
長男の二分の一成人式10歳の作文は、料理人になって修業している二十歳の自分への手紙でした。その中で「お父さんのような料理人になるために修行している僕へ」といった内容でした。その作文は、私の宝物。料理人の両親が、言うのも親バカですが、息子は、天性のベロの閾値(いきち)を授かりました。
いきちとは、 ある反応を起こさせる、最低の刺激量てす。料理の味に例えると、その旨味に対して旨味が最大限に引き立つ塩分の最良値と捉えます。私の場合は、修行し、何十年も鍛練して出来た『いきち』を長男は、最初から持っています。長女、長男共に天然素材で取ったお出汁で無添加離乳食を作り母親が食べさせていました。
同じ離乳食なのに姉弟でもベロは、違うものです。やはり、長男は、天性のものだと察します。息子が三才ぐらいに、スナック菓子などを食べると『毒の味がするよ』と毛嫌いしてましたから。
両親としては、料理旅館の息子なので、その天性を活かした道に進んでもらいたいと口には出さずとも内心は、願っていました。しかし、親が想うようにならないのが子育てです。それよりも、息子が、好奇心旺盛で夢中になれる夢と志を温めている現状の方が、親としても幸運なのかもしれませんね。
長男は、埼玉で朝晩自炊をして、自分でお弁当を作り、厳しい職人の修行に日々明け暮れていると母親から聞いています。大宮の高校弓道部のコーチもして張り切っているそうです。
お正月に実家に帰省中のとき…
長男「父ちゃん、理旅館の裏に弓道場を造ったら、良いお客さん来るよ!だって弓道してる人たちは、文化人が多いから」と生意気に‥
父親「それは、もしもお前が、10代目当主になった時に弓道場を造れば善いじゃないか。もしも、これから努力して修業先から認められたら、屋号は、料理宿『沢乙うちみ』と弓具『朱利うちみ』かもしれないな‥」
私も長男も、龍神様が司る沢乙温泉の歴代湯守という宿命に生まれたけれど、宿命に本能されず『自らが命を運んでゆく』こそ、『運命の』だと考えます。私は、料理道。長男は、弓道。共に日本の伝統文化。
それぞれの大好きな道を極めて、人に喜ばれる存在に一歩一歩づつ近づいてゆけば善いのでないでしょうか。
一般的に運命とは、変えられないものとか云うけれど、夢と志に信念を懐き、命の運び方次第で運命を変えてゆくことが出来るものだと私は信じています。
宿命と運命に己の命を燃やして、人に喜ばれる存在になる。そして、いずれ社会の為になれたら、きっといつの日か、天命は、自然と降るものだと察します。
沢乙温泉うちみ旅館
九代目当主 内海貴史
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