社葬『八代 逝く』

九代目

2024年03月17日 01:48

【想・ありがとう・愛】
弊社八代 内海次雄 が3月4日に永眠いたしました。



社葬のお通夜・告別式に際し、ご多忙中にかかわらず沢山の方々に弔問、そして弔電、供物そして御花を頂戴いたしまして感謝を申し上げます。




告別式では、参列者の皆様と一緒に先代の父がが愛した郷土利府を想い『ふるさと』を献歌し、故人を見送ることが出来ました。





先代の生前は、皆様に大変にお世話になりました。
有り難う御座いました。


昭和57年県民の森林野火災により宿が全焼した際に父は母と力を合わせて、皆様のお力添えをいただき再建を果たしました。地域に根差した温泉旅館の文化を継承し革新する為に精一杯に命を燃やしてきました。
私が10才時の山火事災害でした。火災保険も入ってなく裸一貫での再建。当時の父は、泣きながら努力して再建しました。その背中を魅せてくれたから私が家業を継ごうと想った動機の一つだったと思います。きっと当時の父は『代々の伝統を守りたい。今にみてろよ』の精神だったような気がします。

利府町十符の里フェスティバル実行委員を約20年間努めて、協賛金集めは、常に委員トップで尽力していました。『利府の子供たちに花火を魅せてあげたい!』と云っていたのを想い出します。そして『地域の仲間を大切にしなさい』と教えてくれました。

地域愛・郷土愛の大切さを父から学んだと思います。


(十符の里フェスティバル実行委員時代の親友弔辞)


遺言で『私の葬式は、自分の旅館でお別れがしたい』と願い、また『人との繋がりを大切にしなさい。最後は、愛しかないでしょ』というのが口癖でした。父は真っ直ぐな性格で破天荒な一面もありましたが、家業を愛し、人を愛し、自然豊かな郷土利府を愛し続けた人情味あふれる温かい人柄でした。

父は、私が若き日に料理の技術ばかり追っている頃、口が酸っぱくなるぐらいに『料理の技術ばかりでは、ダメだ。人への優しさを大切にしなさい。最後は、愛しかないでしょ』と教えてくれました。九代目の信念『料理は想いやり』。信念を確立してくれたのは、最愛の父である先代だったような気がします。

これからもその精神を受け継ぎ、従業員一同、先代の大切な『想い』と『愛』を温めながら精進して参りたいと思います。
これからも父の生前と変わらぬご愛顧、ご鞭撻のほどを宜しくお願いいたします。


(故人の親愛なる利府里山をイメージした祭壇)




(社員代表お別れの言葉 若女将)
八代目の父と若女将・理英子は、本当の親子のような愛と絆を育んでいました。

結びに、父の遺言『旅館で葬儀をしてほしい』という想いに寄り添い、遺言を成し遂げるために先代が苦労して守った旅館に立派な祭壇を作るために御尽力してくれた株式会社ごんきや様始め、葬儀のお手伝いをしてくれた関連業者様、地域の仲間たち、そして哀しみに寄り添ってくれた友人たちの励ましに心から感謝いたします。

八代 内海次雄 法名
『園承院慈郷雄岩居士』
エンショウインジキョウユウガンコジ
自然の恩恵あふれる『園』である沢乙温泉を継『承』して『郷』や人を深く愛して『慈』しみ、『雄』大で『岩』のように強く生きた人

八代当主 内海次雄の遺言
『愛しかないでしょ』

八代父に敬意を表します。
「内海次雄 万歳!!!」

令和6年3月
沢乙温泉 うちみ旅館 代表取締役社長 
九代当主 内海貴史

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