2021年11月19日

古代東北の都

【故郷の歴史を紐解く】

古代東北の都

「勿来の関が何故に惣の関と呼ばれたのか?」

#なこその関
#山桜
#源義家の代表作
#利府町

古代東北の都


古代国府多賀城政庁が制定されるまでの宮城の人びとは自然と共に暮らすアイヌ系の蝦夷民族です。

古代東北の都


鎮守府・国府多賀城を作る為に大和朝廷の壮大な国家プロジェクトで房総半島から農耕や製鉄の技術者が宮城の地に送られ移住しました。利府町の横穴古墳郡の遺跡から発掘された土器・須恵器が古代房総地区の物と一致しております。

古代東北の都


「なこそ」の「来るなかれ」とは都の貴族や朝廷高官などが平安時代に和歌などに使った言葉です。一般民は「なこそ」の言葉を使わないし知らないのです。

古代アイヌ語で「ソウ」は滝です。アイヌ系の古代利府の人びとは、なこその関の滝を見てソウと呼んだと推定出来ます。現在の惣の関という呼び名が千年にわたり遺った由縁だと想われます。

古代東北の都

地方の歴史を探求することは、その地の風土の特性・個性を深く理解することが出来ます。料理人・宿の主人としてその地の歴史・文化・風土を深く理解して、それらを活かすことはとても大切なことだと考えます。

「古代東北の都文化圏」
「古代東北の都観光圏」

後世の宮城郡の発展繁栄を願います。

参考文献 
蝦夷となこその関 菅原伸一

利府郷土史会 
沢乙温泉九代目湯守 内海貴史


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Posted by 九代目 at 17:23│Comments(0)当主心得
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