2021年12月28日

宮城の誇り

【利府の語源と誇り】
宮城郡は古代奈良時代まで漢字がに日本に入ってくる前まで原住民(アイヌ系蝦夷属の人種)が使う言葉はアイヌ語でした。

宮城の誇り


宮城の誇り

#宮城県利府町

宮城の誇り

利府里原から見るとグランディの菅谷・入菅谷(沢乙)の県民の森(砂押川源流)と森郷(勿来川源流)の小高い丘が見えます。アイヌ語で小高い丘のことを「リフル」と云います。「リフ」の呼び名の根源です。
その二つの小高い丘の中心に位置する玉のような山が利府町舘山の奥に見える鷹戸屋山です。アイヌ語で球体のように盛り上がった丘を「タカトクヤ」と呼びます。

宮城の誇り


「りふ」という呼び名に十符や利府という漢字が使われたのは、唐から漢字が入ってきてからの奈良、平安、中世、戦国時代だと解ります。

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戦国時代に利府城主・留守正景が利府という漢字をあてたのは、「利」の漢字語源が鍬で農作物を刈り取る地域。「府」の漢字語源から農作物を倉に納める場所から由来するものだと推測出来ます。

古代利府は国府多賀城政庁を支えた重要な地域、農作物を大和朝廷に献上していた要の地域です。戦国・江戸時代も伊達藩にお米を献上していた重要な地域です。

利府里原が歴史、文化、風土が素晴らしい由縁であります。

利府千年物語は、利府町の誇りなのです。

沢乙温泉 九代目湯守

参考資料 利府郷土史会会長・菅原伸一著「利府町のアイヌ語地名」


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Posted by 九代目 at 01:55│Comments(0)当主心得
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